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Posted by TI-DA at

2012年10月28日

今度の水曜日に久々のアコーステイック愛好会開催!




昨晩、久々に沖縄に戻りました。

空港に到着して、出迎えの人達を見たら

殆どが夏服姿で、やはり沖縄は異国だなと再認識しました。


家に戻り、長期出張の疲れを癒す為に

ギターを抱えながらPCに向かっていると

ブガベアのマスターからの電話が有って

先日OMC-28LJをお譲りしたTAMAKIさんが来ているとの事だったので

早速行って来ました。

TAMAKIさんは、いつも温厚でにこやかな方なのですが

OMC-28LJのその後の事をお聞きすると

子供のように嬉々として、素晴らしさを語ってくれました。





ブガベアでは毎週水曜日に、親父達のSING a SONG DAYと言う

イベントを開催しています。

その日は、多くのアコギ好きの親父達が集まって来ます。

最初は、知り合いだけだったのが、徐々に参加する人が増えています。

参加されている殆どの人が長いブランクの後に

再びギターを弾き始めた人達です。


誤解して欲しく無いのは、このイベントは

けして、ハイエンドギターを所有している人達だけの集会では無いと言う事です。

若い頃憧れ続けたギターをついに手に入れた人

思い出が詰まっている、ぼろぼろのギターをずっと持ち続けている人

これから憧れのギターを手に入れたいと言う人

手に入れたギターを持参して、皆と喜びを共有したいと思う人


僕が若い頃は、MARTINやGIBSONなどのハイエンドギターは

ガラスケースの中に仕舞われていて、とても若造が

試奏をお願い出来る雰囲気では有りませんでした。

ギターショップの中には、購入目的以外の試奏お断りなんて

張り紙も有りましたっけ。

ですから、僕は未だにお店でギターを試奏する事は苦手です。





若い頃は、周りにMARTINやGIBSONを持っている知り合いも

全く居ませんでしたから、ただただウインドウ越しに眺め続けるだけでした。

そう言う経験が有りますから、沖縄でアコギ好きの人達がギターを持ち寄り

弾き比べをしたり、ギター談義が出来る場所が有れば良いなと思い

30年来の友人で有るブガベアのマスターと相談して

毎週水曜日のSING a SONG DAYと言うイベントを立ち上げた次第です。


今度の水曜日には、スペシャルサプライズを考えています。





TAMAKIさんにOMC-28LJをお譲りしたのですが

僕は、沖縄に、OMC-18VLJとOMC-28MLJを置いて有ります。

TAMAKIさんとお話していて、水曜日のイベントに

三台の材の異なるローレンスジュバーモデルを並べて

皆に試奏して貰ったら素敵ではと言う話になりました。


恐らく、大都市のギターショップでも

三機種のローレンスジュバーモデルの弾き比べをすると言う事は

殆ど不可能ではないでしょうか?

ローレンスジュバーモデルは、けしてMARTINの

トラデショナルな音では有りません。

とても現代的な音だと思います。


最近グーグルなどで検索すると僕のブログが

かなりの件数ヒットします。

アデイロントップ病とローレンスジュバーモデル病を

蔓延させてしまった責任も有りますから(笑

今回のイベントを企画しました。


気まぐれな僕ですから、三台のモデルを試奏して貰う事は

最初で最後になると思います。

僕はやはりマホの音が大好きですから

バックサイドがマダガスカルローズウッドのOMC-28MLJは

将来手放すかも知れません。


弾き語り系の方達だけで無く、ソロギター系の方も

ぜひご参加頂きたいです。

本土からの観光がてらに立ち寄る価値も有るかも知れませんね(笑





他にOMC-18 CUSTOMをお譲りしたOさんにも声を掛けていますので

もしかして、4台のローレンスジュバーモデルが並ぶかも知れません。


これまで参加された方は、殆どがジェントルマンな方達で

大切にしているギターを気軽に参加者の方に弾かせてくれる

心の広い方でも有ります。

緊張感の有る雰囲気では有りませんが

泥酔している方、ギターを大切に扱わない方

調和を乱すような方は、参加をお断りする事が有ります。


昨晩メールをくれたKさんは、GIBSONのJ-45に憧れているようですが

参加者の方には、1960年製のJ-45や近年物のJ-45TVをお持ちの方も

居ますので、ぜひ試奏をお願いして見て下さい。

今後のギター購入に大いに役立つと思います。

そして、念願のギターを手に入れたら

皆にも弾かせて上げて、喜びを共有して欲しいです。


※アコーステイックバーブガベアは

 収容人数に限りが有ります。

 大丈夫とは思いますが

 万が一収容人数を遥かに超えた場合は

 予約して頂いた、お客様優先とさせて頂きますので

 ブガベアかこちらのブログにコメントして

 予約して頂ければ有り難いです。
  


Posted by goyaman at 12:29Comments(16)ギター

2012年10月28日

メールを頂いたKさんへ




このブログのオーナーへメッセージを送ると言う場所から

私に直接メールが送れます。

昨日もGIBSON J-45のチエリーサンバーストに憧れていると言う

Kさんと言う沖縄にお住まいの方から

メールを頂いたのですが、返信してもエラーになってしまいます。

多分、携帯からのメールからだと思いますが

受信設定をPCからのメールが出来ないようになっていると思います。

設定を解除してから、メールを頂ければ有難いです。

今度の水曜日に、アコーステイックバー「ブガベア」で

久しぶりにアコーステイック愛好会を開催します。

アコギ好きの親父達がGIBSONやMARTINを持って

遊びに来ますので、ぜひご参加ください。


Kさんが憧れているヴィンテージのチエリーサンバーストのJ-45を

持って来る人も居るかも知れませんよ(笑

ギターゲットの達人も居ますので

憧れのギターを激安で手に入れる方法を教えてくれるかもです。  


Posted by goyaman at 02:25Comments(0)ギター

2012年10月24日

友人に譲ったMARTIN OMC-28LJのその後




ギターが縁で知り合ったTAMAKIさんに

MARTIN OMC-28LJをお譲りしましたが

その後、満足して居られるのかずっと気になっていました。

沖縄のアコーステイックフリーク達が集まる

アコーステイックバーの「ブガベア」のブログで

TAMAKIさんが、OMC-28LJを持参した事が書いてあったので

ブガベアのマスターに電話して見たら

凄いギターだとお褒めの言葉を頂きました。


http://boogerbooger.ti-da.net/e4022896.html


マスターが丁度、TAMAKIさんがいらしているとの事でしたので

電話を代わって貰いました。


TAMAKIさんには、OMC-28LJのアンダーサドルのピックアップを

取り外した箇所の穴埋めをする為に、リペアに出している間

OMC-18LJとOMC-28MLJをお貸しして有りましたから

それぞれ三本の材の違うLJモデルを弾き比べた事になります。





TAMAKIさんの初MARTINは、000-42ですから

三本のLJモデルの中でも、音色が甘くサステイーンと倍音に満ちた

OMC-28LJの音を凄く気に入って居られましたので安心しました。

TAMAKIさんの声は、優しく高域よりの声ですので

以前から、良いギターを一本と頼まれていたので

このギターで有れば、気に入って貰えると思って、お勧めしました。





今まで何度か動画で何度か紹介しましたが

こんな感じの音です。

けしてトラデイショナルな音では無く

45系の鈴鳴りの現代的な音です。

倍音やサステーンが凄いのですが

けして基音が、埋もれる事は無く

一弦一弦がはっきりと前に出る音です。

LJシリーズは、マホガニー、ローズウッド、

マダガスカルローズウッド、ハカランダと

四種類の機種が世に出ましたが

ローズウッドのOMC-28は、ハカランダ同様

最も出回っていないモデルだと思います。


こんなに素晴らしいギターを何故譲ったのかと

思う方も多いでしょうが

僕の初MARTINがD-18Sだったせいか

僕はやはりマホガニーの音が大好きなのです。





写真は最近、再び手に入れた

バックサイドがマホガニーのOMC-18LJですが

バックサイドがマホガニーのギターは

聴き手よりも弾き手に心地良さを感じさせるギターです。

マホガニー独特のボデイの振動と

ボデイから聴き手に対して響く明るく軽快な音が

ギターを爪弾く度に癒してくれます。


東京と沖縄を往復する度に、ギターを持参すると

ギターにストレスを与えそうなので

近年物のOMC-18LJと更に初期ロットのOMC-18VLJの

2本を所有する事にしました。

2本のモデルの違いは、OMC-18LJのヘッドに

ボリュートが付いている事だけですが

ボリュートが音の出方に影響しているせいか

幾分、パワーが有る感じがします。


僕は、これまで、OMC-18 CUSTOM×2本、OMC-18VLJ×2本

OMC-28LJ×2本、OMC-28MLJが2本と

何と8本も所有した事になりますが

2本のOMC-18LJと1本のOMC-28MLJ

合計3本のローレンスジュバーモデルで完結しました。


僕も最初の頃は、ドレットノートのギターばかりを集めていて

スモールサイズのギターに興味を持ったのは最近ですが

良いギターは、音量も有って、レスポンスが良く

何より、抱え易いのが素敵です。

今回OMC-28LJをお譲りしたTAMAKIさん以外にも

三本のローレスジュバーモデルをお譲りしましたが

買われた方は、とても満足しているようで嬉しい限りです。  


Posted by goyaman at 23:01Comments(4)ギター

2012年10月20日

僕の原風景はアメリカⅡ




最近の話ですが、僕の母親は、アメリカ兵相手のキャバレーをやってた頃の

写真のアルバムを沢山持っていました。

母親にその当時の写真が見たいから貸してくれと言ったら

全部捨ててしまったと言われました(涙

母親からあの当時の思い出を聞かされ事は無く

母親自体は、封印したかったのでしょう。

僕の立場から言うと勿体無いの一言です。


僕の原風景は、このような街並みから始まります。

第二次世界大戦の後の1950年に起きた朝鮮戦争で

沖縄はその補給基地として、かなりの好景気に沸きました。

その後には、ベトナム戦争が起きて、集結までは繁栄の時代が続きました。

沖縄の米軍基地の周辺には、こう言った飲み屋街が沢山存在しました。


あちこちにAの文字が見えますが

これは、アメリカ軍当局の管理の下に、衛生条件などに適合したお店に

許可したと言う証明書で、Aサインと言われていました。





アメリカ軍にとって大切な兵隊さんが利用するのですから

その人達を相手にする飲食店などは厳重な管理下に有りました。

その許可証が無いとアメリカ兵相手の飲食店は営業する事は

不可能でした。

勿論僕の実家もAサインの許可を貰っていました。


韓国などが、日本軍が従軍慰安婦の問題に関与していたと

未だに騒いでいますが、恐らく沖縄と同じだったのではないでしょうか。

どの国にとっても、兵士達は大切です。

彼らが利用する場所を軍が管理するのは当たり前です。


ましては、軍が強制的に拉致して売春婦にしたとなると

それの家族は命を掛けてまで娘を守ろうと

あちこちで暴動が起きたはずです。

あの短気な韓国人が、それを黙って見ていたとは到底思えません。

戦後何十年も経って、突然言い出して来た訳ですから

とても不自然だと思いませんか?

あっ話題が微妙な方向に行ってしまったので

話題を元に戻します。





戦後沖縄の通貨がドルを使われるまでは

B円と呼ばれる写真のような通貨が使われていました。

僕の年代では、殆ど覚えていませんが

僕はかすかに覚えています。

父親にB円を持たされて、DOMINOと言う沖縄産のタバコを

買いに行かされた記憶が有ります。

その後の通貨はアメリカドルに変わりました。

ドルから円に変わったのは、1972年頃です。

僕はその年に東京の大学に進学しましたから

円の価値が分からず、頭の中でレート計算していて

これは何ドル位だなと確認して買い物していました。






いきなり琉球時代の衣装を着ている女性達の写真が登場しますが

辻町は戦前、遊郭がだった街で、その後はアメリカ兵相手の

飲み屋街に変貌しますが、伝統的なお祭りは、戦後続いていました。

廿日正月と言って、そのお祭りにはじゅり馬行列が有りました。

じゅりとは、琉球王朝時代の公娼の事です。

年に一度のお祭りの為に、沢山のホステスさん達が

毎日踊りの練習をしていたのを思い出します。

どうしてもこのような仕事は日陰的ですが

年に一度の晴れ姿を広く一般の人達にも披露するお機会に

ホステスさん達も大張り切りでした。


後年に婦人団体からの抗議で、このお祭りも長い事中断されていましたが

近年、このお祭りは、継続的ではないのですが、時々行われているようです。


さて、ネットで探した写真で、僕の心に懐かしさを感じる写真を

紹介します。





浦添市か宜野湾市に行く国道58号線沿いには

アメリカ人相手の様々なショップが並んでいました。

家具屋、テイラー、オーデイオショップ、車屋さんなど

その国道沿いはリトルアメリカと言われていました。

写真は、ペプシコーラの工場です。

ペプシコーラの日本法人はサントリーに買収されました。

工場は最近まで残っていましたが

最近取り壊されて、家具のニトリに生まれ変わります。

また一つ、僕の原風景が無くなってしまいました。





沖縄市のパークアベニューと言う旧センター通りの

ニューヨークレストランです。

その当時の姿では無いのですが、今もちゃんと残っています。







僕の近所だと、ジャッキー、ステイツサイズ、ジョージと言う

三軒のアメリカンレストランが有りました。

その当時は、民間相手にステーキを出すようなレストランが無い時代でしたから

芸能人やプロレスラーなどが来ると食べに来ていました。

ジャッキーは特に有名で、僕はジャッキーの前で力道山を見た事が有ります。

近所にあった三軒のレストランの内、現在地に在るのは

ジョージだけで、後の二軒は移転しましたが

ちゃんと存在しています。

僕の家は、ジャッキーの三軒隣に在りましたが

ハンバーガーを焼く匂いがして来る度に

大きくなったらレストランを経営しようと

子供ながらにずっと思っていました。





ガソリンスタンドです、その当時は

アメリカのカールテックス社が独占していました。

ですから、沖縄の人達は、ガソリンスタンドとは呼ばず

カールテックスと呼んでいました。







こちらも最近まで存在していましたが

惜しくも取り壊されて、今では優良老人ホームになっています。

終戦後は、アメリカ兵相手の大型のキャバレーだったそうです。

英語名をオーガストムーンと言って

マーロンブランドと京町子の主演の映画の舞台になった場所です。

その後は料亭松の下と名称を改め、日本人相手に主軸を移したようです。

その前には、拝所が在って、そこは僕の遊び場でした。

またそこの中庭には池が有って、うなぎを捕まえたりしていましたが

怒られた記憶はまったく有りません。





各基地の前に在った飲み屋街も大概は、こんな雰囲気だったと思います。

表は、アメリカぽく作られていますが

裏は瓦屋根の木造りですから、まるで映画のセットのようでね。

道路が軍道以外は舗装されていない時代です。

まるで西部劇に出て来そうな街並みです。





沖縄市の嘉手納基地の前の街には、アメリカ兵ファミリー相手の

ギフトショップが沢山有りました。

トミーチャイナと言う、日本の輸出用の陶磁器メーカーの

NORITAKEをメインに扱うショップです。





この写真は比較的新しくて、停車している車の型式などから

1980年代ではないでしょうか?

沖縄市の嘉手納基地のゲート前のゲート通りです。

この頃になると、ベトナム戦争の終わりと円高のせいも有ってか

アメリカ兵相手の商売に見切りを付けて

日本人相手の商売に切り替えるお店が増えました。

どんどん日本語の看板が目立っています。





今だったら凄い価値の有りそうなビンテージカーが

沢山並んでいますが、レンターカー屋さんです。

日本製の車はトラック以外は殆ど走っていない時代ですが

それにしても凄い車ばかりです。




プラザハウスです。

今は日本人の経営ですが、その当時はアメリカ人の経営でした。

後には日本人も利用出来るようになりましたが

当初はアメリカ人用のショッピングセンターでした。

今でもちゃんと残っていますし

ロジャースと言う欧米のインポートメインのファッションを

扱っています。

当時から最先端のファッションが売られていました。








現在のプラザハウスのHPを見たら

当時の貴重な写真がアップされていたので転載します。

1954年にオープンしたそうですから、何と僕が生まれた年です。


はじまりは1954年

日本で最初のショッピングモール



目の前に広がる大きな駐車場、バラエティ溢れるショップ。日本初のショッピングセンターと言われている玉川高島屋がオープンしたのは1969年のことでした。それをさのぼること25年、本当のルーツともいえるのでしょうか、日本で初めてショッピングセンターが沖縄市に誕生しました。
1954年4月1日、米軍は沖縄本島の北谷、読谷海岸より沖縄へ上陸してきました。上空より、最もライフラインのしっかりした場所を定め、米軍の琉球軍司令部(RYUKYU COMMAND)を設置したのが、その名もライカム(RYCOM)と呼ばれる沖縄市の南の玄関口にあたるエリアです。現存する泡瀬ゴルフ場、ライカムハウジングエリアは今も当時の姿を残し、フェンスの向こうには、まるでカルフォルニアのような広々とした芝生のグリーンが続きます。アメリカ人のライフスタイルは、戦後何もかも失った沖縄の人々の目に、それこそ驚きと憧れと夢のようなシーンに写ったに違いありません。
 1954年7月4日アメリカ独立記念日に華々しく誕生したのがPLAZA HOUSE SHOPPING CENTER。店舗の前に広がる大きな駐車場。米軍占領下に誕生した典型的なアメリカ型モール。沖縄の強烈な陽射しを避ける低くて深い庇、人々をリズミカルに回遊させるジグザグ型の店の並びはあまりにモダンで当時の人々を魅了しました。当時そのままモダンな建築構造は本島中部のランドマークとして多くの人々に愛されています。
 プラザハウス(ショッピングセンターと同じ名前の直営店)とロージャースをつなぐ回廊にはギフトショップや当時では珍しいレコードショップ、アメリカ製の家電販売店、そしてJALをはじめとする航空会社の沖縄支社が軒を連ねていました。




沖縄のボーイスカウトがハイキングしている写真です。

僕も小学校から高校までボーイスカウトに入っていました。

ただし、あの当時ですから、アメリカンボーイスカウトです。

制服も日本のボーイスカウトとは違ってアメリカと一緒です。


当時、アメリカ軍の基地でキャンプする事が有って

今の時代だったら問題になりそうですが

何と、実弾のカービン銃を使っての射撃の訓練まで有りました。


最近は、母親が捨ててしまった、アルバムの中の僕の記憶を取り戻すべく

ネットを使ってあの当時の写真を収集する事に夢中になっています。

このブログは、アコギに関しての事がメインですが

時々は、僕の原風景をアップしたいと思います。

今はアコギよりも、沖縄の復帰以前の写真発掘に夢中です。  


Posted by goyaman at 21:28Comments(8)一般

2012年10月20日

沖縄の音楽仲間が東池袋のプレイヤーズに集結




沖縄の音楽仲間達が、偶然にもそれぞれの用事で

東京に出て来たので、東池袋のプレイヤーズに集結しました。

NORIさん、NAGAKOさん、SINOBUさんの三人です。

NORIさんとNAGAKOさんは、プレイヤーズには数回目

SINOBUさんは、以前近くに在ったフォーク居酒屋の亜古木に

出張の度に、来てくれていましたが

最近は出張が無く、東京は二年振りでプレイヤーズは初です。





NORIさんとSINOBUさんです。

ユニットを組んだのは最近ですが

超絶ギタープレイヤーのNORIさんのサポートとSINOBUさんの力まず

自然体のボーカルに、うっとりと聴き入りました。





NORIさんは、SINOBUさんとは、別にも

ユニットを組んでいます。

この二人の出会いも、最近ですが

あちこちのライブハウスで大活躍しています。

NAGAKOさんが歌っている曲は、彼女の父親が作った

思い出の夏の海です。

余りに素敵な曲なので、地元企業のCMソングとしても

使われています。

NORIさんのギターサポートとNAGAKOさんの抜群の歌唱力で

目がうるうるしちゃいました。


プレイヤーズのお客様達に、聞きなれないイントネーションが

飛び回っていますが、僕らは沖縄から来ましたと紹介したら

あちこちから、ハイサイなどと沖縄の方言が返って来ました。

プレイヤーズの常連さん達の暖かい歓迎振りに感激しました。

プレイヤーズは客筋の良いお店です。  


Posted by goyaman at 03:18Comments(2)音楽

2012年10月19日

僕の原風景はアメリカ

くら


ネットで僕が育った街の昔の写真を検索したら

沢山見つかって、深夜まで夢中で見続けました。


僕の原風景はアメリカと言う題名を見た人は

何てアメリカかぶれの奴かと思われるでしょう。

沖縄が日本に復帰したのは、1972年です。

それまでは、アメリカの統治下に有りました。

通貨もドルを使っていましたし、車の車線も

アメリカと一緒の右側通行でした。

勿論、本土に渡航する時はパスポートや

検閲、税関の検査が必要でした。





僕が育った街は、那覇市の辻町と言って

戦後、今の那覇空港に在ったアメリカ軍の空軍基地所属の

米兵相手の飲み屋街でした。

僕の両親もアメリカ兵相手のキャバレーを営んでいました。


旧コザ市のような大規模な町並みでは無かったですが

それでも、ペイデーには、多くの兵士達で賑わっていました。

周りは、空き地ばかりの何も無い所でしたが

ここは、夜になると、不夜城のようにネオンがきらめいていました。





この写真は、コザ市の写真ですが、

夜になると辻町もこんな感じでした。

僕の周りは、ホステスさんとアメリカ兵ばかりで

愛嬌の有った子供だったせいかとても可愛がられました。

やんちゃなマリン兵(海兵隊)と違って

エリートの空軍兵士達ですから、ジェントルマンが多かった気がします。





僕のような環境で育っていなくても

沖縄の殆どの人達は、フェンス越しに見える

アメリカ人のライフスタイルに憧れる人は多かったと思います。

アメリカに比べて日本がとても貧しかった時代ですから

芝生の丘陵の中に点在している米軍ハウスには

そえぞれにブランコや滑り台、そしてプールが有ったりと

貧富の差を嫌と言うほど見せ付けられました。


アメリカ兵の家に招待された時など

タンスのように大きな冷蔵庫から

どでかいアイスクリームのパッケージを取り出して来て

好きなだけ食べろと言われた時は、天にも昇る気持ちでした。





ベトナム戦争が終結した辺りから、辻町に寄り付く

兵隊さんは、めっきり減ってしまって

街はゴーストタウン化して行きました。

(辻町の写真が余り見つからないので旧コザ市のセンター通りの写真を代用)




僕の両親は、早めに水商売に見切りを付け

日本との貿易で、洋服の生地を輸入する仕事を始めました。

物が無い時代ですから、仕入れた生地は飛ぶように売れたそうです。

一軒のお店は国際通りの裏手の市場通り

そして、もう一軒を、松山と言う町の問屋街に店を出しました。





市場通りのお店は沖縄の人達用に販売するので

平和商事と名前を付け、

問屋街のお店は、でブラザーストアと言う名前にしました。

その頃は、アメリカの独身兵に代わって、家族部隊が増えていましたし

その奥様方相手の洋裁店が仕入れに来たり

アメリカ人は合理的ですから、洋裁が出来るメイドを雇って

家事の傍ら、家族の洋服を縫わせる奥さん達が

生地を買いに来るので賑わっていました。

ですから、お店の名前も英語にしたのです。

僕の環境としては、中学生位まではアメリカ人との

関わり合いは続いていた事になります。

こちらのお店が軌道に乗ったので

僕達家族は、辻町を離れ、この問屋街に引っ越しました。

たまに辻町に行って見ると、嘗ての反映が蜃気楼だったように

ひっそりとしていて、とても寂しい気持ちになりました。


那覇市からは、どんどんアメリカ軍の基地が無くなり

それと比例して、アメリカ人や彼ら相手の

横文字のショップも消え失せて行きましたが

沖縄本島中北部には、まだまだ基地は有りましたし

基地の街も、存在し続けて、多くのアメリカ人も

街を行き交っていました。





辻町に行く度に廃れるばかりの街並みを見るのは辛いので

ヒッチハイクまでして、中部の基地の街に足繁く通いました。

その街を歩いていると、懐かしい気持ちになりました。





その頃は、アメリカ兵相手のPAWAN SHOP(質屋)が沢山有りました。

中学生だから、そこで売っている物を買ける訳有りませんから

オーデイオ、ギターなどを、ただただ眺めるばかりです。

1970年当時は、アメリカ製のアコギは有りませんでしたが

FENDERや、GIBSONのエレキが沢山並んでいました。

その光景は、今でも夢の中に出て来る位です(笑


アメリカ製のギターをいつか手に入れてやる

中学生の頃から、そう思って来ましたから

ギタークレイジーと言われる理由が理解して頂けると思います。

今は、エレキは集めていませんが

以前は、GIBSONやFENDERのギターを沢山所有していました。


そう言った環境で育ったので、ペンキを塗りたくった

横文字の看板のショップやネオンサインなどを見ると

胸がキューンとなります。


大学二年の時に、バイトをして資金を貯めて

ギターを買う貯めに、アメリカのLAに行った時は

初めてのアメリカなのに、LAの街並みを見て

懐かしい気持ちになりました。

こう言った事情から、僕の原風景はアメリカなんです。


次回は、ここ最近、ネットで夢中で集めた

沖縄の昔のアメリカンな写真をアップしたいと思います。





例えば、こんな感じの写真です。

乞うご期待です。






  


Posted by goyaman at 00:30Comments(10)一般

2012年10月17日

のりさんのギターレビュー J-45 1956 55th Annversary




以前、GIBSON LG-2 1942 CUSTOMをお譲りした

東京ののりさんから、GIBSON J-45 1956 55th Annversaryの

レビューが届きましたので紹介します。

お譲りしたLG-2は、奥様用のギターとして手に入れられましたが

とても満足して頂いているようで、ほっとしました。





ゴーヤーマン様

こんばんは、LG-2 CUSTOM 1942を譲って頂いたのりです。

先日、ブログの方にも「のり」としてコメントを書かせて頂きました。



おっしゃる通り、LG-2 CUSTOM 1942は妻が使用するために譲って頂きました。

もともと妻は自分の1960's B-25より私が使用している

J-45 1956 55th Annversaryの音のほうが

いい音がするけど、サイズが大きくて弾きにくいと言っていましたが

LG-2 CUSTOM 1942は1960's B-25より

いい音(深い音)がするととても満足しています。

サイズもちょうどいいみたいです。


私の持っているJ-45 1956 55th Annversaryをご紹介したことがなかったと思いますので、

画像をお送りさせて頂きます。








私のJ-45のTOPの木目はアディロンダックにしては

結構細かい木目で、見た目がきれいだったことも

購入の決定打になりました。

※もちろん、音を鳴らしたときにゾクってきたうえでですけど(笑)



ゴーヤーマンさんはよく、アディロントップは木目が広めのほうが倍音が多く

音量もあるとブログにも書かれていますとおり

LG-2 CUSTOM 1942と比べると確かに音量は小さめかもしれません。

ネットで調べてみると、アディロンの木目が狭いものは

鳴るようになるまで時間がかかるという意見もあるので

信じて気長に育ててみようかなと思っています。



私がJ-45 1956 55th Annversaryを購入した時は

TOP材での音の違いは全く分かっていなかったのですが

こうしてアディロンTOPを聞き慣れてしまうと、アディロンTOP以外のギターには

興味がわかなくなってしまいました。

ちょっとアディロンの病いかかっているのかもしれません(笑)

それでは、失礼します。

                 のり


のりさん、GIBSON J-45 1956 55th Annversaryのレビュー

有難うございました。

のりさんは、僕同様、深刻なアデイロン病になってしまったようです。

僕が最初にアデイロントップのギターを手に入れたのは

MARTIN D-18GEが最初です。

そのギターを手に入れてからは、シトカトップのギターとは

全く違った音質にびっくりしました。

基音が太く粘りの有るしっかりとした音で

レスポンスが良く、サステイーンと倍音の凄さに圧倒されました。

それ以来、D-28MARQUIS、D-18 Authentic、D-28CWと

手に入れるギターはアデイロントップのギターだけになり

シトカスプルースのトップ材を用いたギターは殆ど手放しました。


GIBSONに関しても、J-45の1955年、1959年、1960年と手に入れましたが

アデイロントップのJ-45TVを手に入れてからは、それ以外を

全て手放しました。

GIBSONの近年物は、ネックのブリップ感も素晴らしいですし

仕上げも非常に良くなりました。

アデイロンダックスプルースは、先の大戦で飛行機の部材として使われた為

枯渇状態になってしまって、一番豊富なシトカスプルースに変更されましたが

戦後60年以上経って、木が育ち、再びギターのトップ材として

使われるようになって来ました。

このような時代に、遭遇出来るギターフリークは幸せ者だと思います。

  


Posted by goyaman at 20:29Comments(6)ギター

2012年10月15日

戦うオヤジの応援団横浜支部発表会 サザンクロス




戦うオヤジの応援団埼玉支部の発表会の続報です。

僕を誘ってくれたGTAさんのグループのサザンクロスです。

前もって、沖縄のサンシン二台を使うと聞いていたで

ははーん、オキナワンミュージックだなと想像はしていましたが





特にこの方、エリックさんと言いますが

沖縄のエイサーの格好で出てきたのには

びっくりです(笑

自称コスプレバンドだそうです。





メインボーカルは沖縄出身のハイサイさんです。

僕より大先輩ですが、いつかお会いしたいと思っていました。

渋いボーカルを聴かせてくれました。





紅一点の彼女も沖縄出身だそうです。

彼女に沖縄ですかと聞かれたので

毛深い腕を見せたら納得していました(笑





いつもダンデイなギタリストのGTAさんです。

何度もお会いしている内にジャッキーチエンに似ているなと

思っちゃいました。

サンシン2台、ギタ2台のユニットです。

動画をYouTubuにアップしましたので紹介します。








ラストには、フラダンスまで登場です。

オキナワンミュージックとフラって相性良いですね。


  


Posted by goyaman at 20:14Comments(0)ギター

2012年10月15日

戦うオヤジの応援団横浜支部発表会を見に行く




戦うオヤジの応援団の横浜支部の発表会が有るので

見に来ないかとのお誘いが有ったので、行って来ました。

場所は、横浜駅の西口から近くに在る

フォーク喫茶「元気ですか」と言う、吉田拓郎好きが

喜びそうな名前のお店です。


3時頃に到着したのですが、すでにお店は

沢山の親父達で、満員状態でした。

皆、第二の青春を楽しんいるって感じです。

僕自身は、埼玉支部に参加する事が多かったのですが

月に一度の開催日が、月末近くに変更になった為に

中々行く事が出来なくなってしまいました。

初めて参加した、横浜支部も旧知の方が沢山居て安心しました。


一枚目の写真は、鰯雲さんです。

昔、ジェットストリームに出ていた城卓也ばりの

太く低い声で素敵な弾き語りを聴かせてくれました。





フォークソングと言うよりは、ニューミュージック系が

メインの方ですが、声量が凄く、音域も広くて

パワーの有る弾き語りでした。





ビートルズの曲メインのユニットです。

スチール弦プラスナイロン弦で

素敵なアンサンブルを聴かせてくれました。





埼玉SPで時々お会いする、とことこさんです。

今回は女性とユニットでの参加です。

この人が歌う曲はいつも風刺が効いて面白いです。





戦うオヤジの応援団では、古い付き合いのエリックさんです。

自然体で、肩の力を抜いての弾き語りが素敵でした。

何より素晴らしいのは、歌う一語一句が

ちゃんと心に届く事です。





左の方が、僕を誘ってくれたGTAさんです。

洋楽メインで若い方とのユニットです。

ボーカルの方は、羨ましい位、KEYの高い歌を

すらりと歌っていました。

GTAさんのバッキングが素晴らしいです。





GTAさんが弾いているビンテージのサザンジャンボを

僕が見逃すはずは有りません(笑

何と1943年製だそうです(汗

後で弾かせて貰いましたが、ネックは以外と細く

枯れ切った、キラキラした素晴らしい音でした。





この日、唯一の女性一人の弾き語りです。

いるかさんのなごり雪からスタートしましたが

いるかさんのような太くパワーの有る声で

抜群に上手かったです。

他にも沢山の参加者が居ましたが

全員を紹介出来なかった事をお許し下さい。

3時スタートの長丁場でしたが

僕は全然退屈する事無く、楽しめました。


次回は、この日の出演者の中で驚愕のユニットの動画を

撮りましたので、紹介します。

沖縄出身の僕にとって、カルチャーショックのグループでした。  


Posted by goyaman at 02:03Comments(2)ギター

2012年10月14日

MARTIN OMC-18LJを買われた方は何と!!




前回紹介したクロサワ楽器の町田店に出ていた

MARTIN OMC-18LJを購入した方は

以前、僕が所有するMARTIN OMC-28MLJをお譲りした

福井県のSさんでした。

http://chrifchrif.ti-da.net/e3930191.html





Sさんが購入したのは、2008年製です。

初期ロットはOMC-18VLJと言う製品名で

違いはネックヘッドのボリュートが付いていない事と

ネックがマホガニーからセレクトハードウッドに変更されています。

僕は両方を持っていますが、どちらかと言うと

近年物のOMC-18LJの方が基音に芯が有り好みです。





Sさんが購入されたOMC-18LJのトップ板は

アデイロンダックでも木目が太い材が使われています。

本来だと、トップ材は木目が詰まった物が上質とされていますが

ことアデイロンダックに関しては、木目が広い材の方が

倍音とサステイーンに優れていると思います。





バックサイドのマホガニーも、とても良い材が使われています。

このモデルは、驚くほど軽く作られていて、弾く人が皆驚きます。

レスポンスが素晴らしくて、ボリュームが有り

軽く弾いても強めに弾いても、クラシックギターのように

奥深く芯が有りながらも倍音とサステイーンに優れています。

OMC-18LJを手に入れられたSさんからの喜びのメールが来ましたので

紹介したいと思います。



ゴーヤーマンさん、ご連絡ありがとうございます。

お久しぶりです。



完全にローレンスジュバー病に感染してしまいました。(笑)

クロサワ楽器町田店のOMC-18LJはゴーヤーマンさんのおっしゃるとおり少し高額かと

思ったのですが、これを逃したらいつになるかわからないので思い切って購入

してしまい昨日手元に届きました。



サウンドホール回りに少し打痕や弾き傷がありますが気にならない程度のもので

その他はネック回り等問題なく状態は良かったです。



肝心の音ですが、これがもう素晴らしく大正解でした。全く後悔していません。

ゴーヤーマンさんから譲っていただいたOMC-28MLJと甲乙つけがたいというか、

どちらが勝っているということではなく2本とも本当に素晴らしいギターです。

この2本があればもう他はいいかなっていうくらい大満足しています。

手元に届いたばかりだと思いますが、しばらく弾かれたら

レビューをお待ちしています。


私が現在所有するギターは次のとおりです。



MARTIN OMC-28MLJ

      OMC-18LJ

      OO-18HGM

GIBSON J-45(56年)

tupli 12FJ

K.YAIRI CE-3



MARTINは3本ともアディロンダックトップですね。



また、ローレスジュバーモデルを弾き比べて経過を報告させていただきます。



素晴らしいギターを紹介していただいたゴーヤーマンさんに本当に感謝しています。

ありがとうございます。



ではでは。



福井のS
  


Posted by goyaman at 09:59Comments(0)ギター

2012年10月11日

クロサワ楽器町田店にMARTIN OMC-18LJの中古が




何気に楽器検索サイトのJギターを見ていたら

クロサワ楽器の町田店にMARTIN OMC-18 Laurence JuBerモデルの

中古が出品されていました。

2008年モデルで、プライスは¥398,000(税込)で高めですが

10月5日付けでHOLD 商談中となっています。

僕も国内外のサイトで同モデルを時々検索してますが

海外でも中古は殆ど見かけなくなりました。

僕の場合は、殆ど海外のオークションサイトのeBayや

直接アメリカのギターショップから手にいれましたが

手に入れる度に、高値になっています。

過去に僕が直接お譲りした方達はラッキーだったと思います。

詳しい情報は、下のURLをクリックして下さい。


http://www.j-guitar.com/product_id136452.html


ちなみに、最近TAMAKIさんにお譲りしたOMC-28LJは

国内外でも、新品中古を問わず全く有りません。

OMC-18LJやOMC-28MLJは、再発売されたようで

最近でも新品でも手に入りますがOMC-28LJだけは

再発売されなかったようです。


OMC-28MLJは、Jギターで検索するとアップルギターさんに

中古が2台有るようです。

中古は、海外でも現段階では入手不可能ですから

近郊の方はぜひ試奏して見る事をお薦めします。


http://www.j-guitar.com/product_id102446.html

http://www.j-guitar.com/product_id15927.html



ギター弾き逃げ記と言って

様々なギターを試奏してレビューをアップされているサイトが有りますが

とても表現力の有る方で、時々参考にしていますが

OMC-28LJとOMC-28MLJのレビューが書いて有ったので転載します。

彼のレビューを見て、その通りだなと実感しています。


http://homepage1.nifty.com/webhall/backstg/guitar.htm


「Martin 0MC-28 Laurence Juber 2004年 アディロンダック、ローズウッド」


こりゃーすごい!
マーチンはすごいギターを作ったなって感じです。
指ではじいた反応はびんびんとボディが鳴り響く感じで
12フレットの000-28ゴールデンエラを弾いた後でも負けないような箱鳴り。
それよりもうちょっと弾力があってすごいデリケートな感じです。
ふれれば鳴るし指のデリケートな力加減でうまーく強弱が変化するし
D-45を繊細にしたようなきらびやかな倍音がふわ~っと湧き上がって
こりゃーもうたまりません。
一緒にコリングスのOMを弾いたのだけど
これもすごいギターなのに印象が薄れてしまいました。
これは元ウイングスのローレンス・ジュバーのモデルで
ローレンス・ジュバーはこのモデルに変える前コリングスのOMを使ってたそうで
本家マーチンのコリングスに負けられるかという意地を感じます。
このギターはOM-28という000-28の小ぶりなボディに
D-28のロングスケールのネックをくっつけたような形のギターで
ハイポジションが弾きやすいようにカッタウェイになっています。
ピックガードやフィンガーボードのインレイが無くてすっきり飾り気がありません。
ヘリンボーンだけあってそれがまたかっこいい。
力木はフォワードシフテッド・スキャロップド・ブレーシングで
おまけに表板がD-28より薄くなっているようです。
これでデリケートにばかばか箱鳴りするんでしょう。
あと、OMのギターは、力木の幅がD-28や000サイズのよりも細い
00サイズと同じ幅のものが使われているようです。
これが繊細な音色にしてるみたいです。
というのは、D-28とD-35を比べると35の方が繊細な音色ですが
D-35は00サイズと同じ幅の力木を使ってるからだそうです。
というわけで、OMのギターをD-28のボディが小さくなっただけだ
と思っていると大きな間違いで000-28よりもかなり繊細で
指で弾いた場合ものすごいレスポンスがあって大きな音で鳴るギターです。
OMがフィンガーピッカーご用達というのがよくわかります。
それから、音に関係するかどうかはわからないのですが
表板の目がやたら細かくてそろってるものが使ってあって
アディロンダックとは目が粗かったり疎らなものだとばかり思っていたので
なんですかこれ?と聞いたら、アディロンでも目の細かいものはあるんだそうです。


「Martin 0MC-28M Laurence Juber 2006年 アディロンダック、マダガスカルローズウッド」


これと同じマダガスカルのローレンスジュバーを前にも弾きましたが
バックのマダガスカルの木目がまっすぐでものすごく色の濃いやつを見つけて
静かな所でじっくり弾けました。なんと、モデルのシリアルNoが一桁だし。
詳しい仕様はそっちや、ローズウッドのローレンスジュバーの所に書いたので省略。
で、なんとものすごいです、このギター。すごい鳴り!
どこ弾いてもボディがバウンバウン、ぼくんぼくんと来ます。
高音弦のハイポジションもカーンと来て、さらに倍音が耳をつんざくピキーンというほどの鳴り方。
弦をはじくといつまでもボディの残響が、わをぉ~んをぉ~んをぉ~んをぉ~んと続きます。
一歳年上の0M-45 Marquis↓ よりも明らかにはげしく鳴っています。
すいません、今までOMをなめていました。
このモデルは特に指弾き前提に割り切って作ってあるんじゃないかと思います。
そーっと弾いても鳴って、軽やかな箱の木の響きがたまらないです。
音色もアディロンのきつさが無くて、みゅ~んという猫なで声の傾向も少なめで
やや芯の太めのなめらかで、かと言って湿っぽいほどなめらかすぎず、明るめの音という感じ。
絶妙なさじ加減の綺麗な音がします。
低音の音色も45の華奢な感じではない、ストレートな28系の出方です。
45の音色も素晴らしいけれど、こういう素直な音色もたいへんおよろしいです。
ハカランダの鳴り方にものすごく近くて、ズン!ピシャー!っと気合入りまくりです。
ハカランダのローレンスジュバーと直接比べたらどうかわかりませんが
ハカランダの000-28ECBと比べても気合の入り方は一緒です。
この感じはローズウッドの0M-45 Marquisでは出ないところです。
音色が45ではなく28だという以外は、現行最高峰モデルをしのいでしまう実力だと思います。
ハカランダのものより、音の芯が強いという情報もあります。
こないだの店の人は、ハカランダよりこっちの方がマイルドで好きな人がいると言ってましたが
どっちがほんとうなんだ?(笑)音の感じ方とは人それぞれだし弾き方にもよるのでイロイロですね。
ちなみに000-28ECBは、フォワードシフトでない太目のブレーシングで
もうちっと硬めのポンポンした鳴り方で、グリグリ感があり、ピシッと根性が入っています。
シトカスプルースのちょい枯れた透明感のある音色で、みゅわ~んとした繊細な倍音が広がって
こっちはこっちで別腹です。(笑)
ローレンスジュバーや45マーキスの方はふくよかな鳴り方で
倍音は繊細というよりもきらびやかでゴージャスな感じがあります。
やっぱ、指でぼっこんぼっこん鳴るフィンガーピッキングご用達でしょう。
一番うまい煎餅と一番うまい饅頭を比べてるとか
一番うまいうどんと一番うまいそばを比べてる感じでしょうか。
じゃあ、28と45の違いは何かと言うと、もりと鴨南蛮の違いじゃーないかな。
あれ?マーチンはバター味だと言ってたっけ?じゃあ、洋食に置き換えてください。(笑)
それにしても、今日はなんという贅沢な比較をしてるんだろう。
インレイもピックガードも無い飾りっけの何も無いギターだけれど
さすがローレンスジュバーはものすごいギターを作らせたと思います。


音はすごいし、かっこいいぞ、これ。(泣)



  


Posted by goyaman at 01:33Comments(12)ギター

2012年10月08日

MARTIN OMC-28 LAURENCE JUBERを手放す




先日、アメリカのギターショップから手に入れた

MARTIN OMC-28 LAURENCE JUBERを

沖縄のアコギ好きの友人のTAMAKIさんに

お譲りする事になりました。

結局僕は、材の違うローレンスジュバーモデルを

機種毎に、2本以上手に入れた事になりますが

最終的な結論として、バックサイドがマホのOMC-18LJを2本

マダガスカルローズウッドのOMC-28MLJを残そうと思いました。


バックサイドがローズウッドのOMC-28LJは気に要らない訳では無く

OMC-18LJとOMC-28MLJの中間に位置する音なので

マホの音とは、極端に音の違いが有るOMC-28MLJを

選択しました。

お譲りするTAMAKIさんとは、沖縄に帰れば

頻繁にお会いする事が出来ますので

たまに弾かせて貰えます。


僕はギターを手放す時は、必ずリペアに出して

最良な状態にしてからお渡しします。


お譲りするOMC-28LJは、多少問題が有りました。

ハイランダー製のIP-1と言うアンダーサドルタイプの

ピックアップが仕込まれていました。

サドル下にピエゾタイプのピックアップを仕込むと

音が劣化してしまうので、取り外すと

サドルの下のブリッジの底面がピックアップの形状に合わせて

削られていました。

その上にサドルを差し込むとサドルの下に空洞が出来ます。

それでは最良の状態では無いので、引き渡す前に

いつもお願いしているリペアマンの小野さん

にリペアをお願いしました。

彼からリペア時の写真が送られて来たので紹介します。





最初に、ブリッジのサドルを差し込む部分を、フラットに削ります。





その後に、ブリッジと同じ材のエボニーで穴埋めします。

固いエボニーを埋め合わせるのは、とても気を使ったと思います。





そして、新たにサドルを差し込む溝を切り直します。

その為に、小野さんは工具まで新たに作ってくれたそうです。





再び、サドルを新しく作り直してセットして完成です。

ブリッジ周りは、ギターの音質を左右する大切な部分です。

完璧に調整してあげれば驚くほど音が変わります。


いつもながら、沖縄のギターフリーク達の為に

完璧なリペアをして下さった小野さんに、心より感謝します。

そして、リペアの為に長い間お待たせしてしまったTAMAKIさんに

申し訳無く思っています。

リペアが完了しましたので、直接手渡ししたいと思います。


下の動画は、以前にも紹介しましたが

OMC-28LJを弾いてくれた友人達です。

両方の動画共、PAは使っていません。





  


Posted by goyaman at 10:50Comments(10)ギター

2012年10月04日

久々のアコーステイックバー ブガベア




久々にアコーステイックバー、ブガベアに行って来ました。

ブガベアでは、毎週水曜日にSING a SONG DAYと言うイベントが有ります。

要は親父達の飛び入りの日です。

この日もアコギマニア達が結集していました。

一枚目の写真は、TさんとNさんです。

アコギが縁で知り合った二人ですが

息の合ったうっとりとするサウンドを聴かせてくれます。





僕は初めてお会いしましたが、三度目の参加だそうです。

若い頃(今でも若いですが)バンドを組んでいたそうですが

長いブランクの後、友人の結婚式の余興で歌ったのをきっかけに

再びギターを弾き始めたそうです。

弾いているギターは、今年四月に購入した

MARTIN 000-28です。

トムウエイツのファンだそうで、ハスキーでパワーの有る

弾き語りを聴かせてくれました。





水曜日の常連さんのTMさんです。

多分、参加者の中では普段一番ギターを弾いていると思います。

お会いする度に、歌やギタープレイが進化しています。

僕なんか随分前に追い抜かれています。





GIBSONのCJ-165を弾くTTさんです。

CJ-165は、北海道のMさんから譲って貰ったギターですが

バックサイドがローズウッドと言う事も有ってか

フィンガーソロにも十分使える素晴らしい音です。

TTさんは、レパートリーは多くは有りませんが

同じ曲をずっと弾き続けただけあって

ギターの音色を最大限に美しく響かせます。

最近は、ギターソロだけなく、弾き語りにもチャレンジしています。





久々にお会いしたミュージシャンの鉢嶺元治さんと僕です。

僕のギター収集病のルーツは、この方です。

今では、病気が治ったと本人は言っていますが

時々プチ再発します(^^♪

PAが要らない位の爆声です。

一緒にハモると、とても気持ちが良いです。


この日揃ったギターです。

このブログの読者はギターに詳しい方が多いので

説明無しでアップします。

久々にMARTINが勢揃いしました。























  


Posted by goyaman at 10:58Comments(6)ギター

2012年10月02日

日中韓の対立をナショナリズムで語ることの愚

目から鱗の論評です。

ぜひご覧頂きたいです。

Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~より転載

http://meinesache.seesaa.net/


中国の反日暴動や、韓国の反日姿勢を目の当たりにして、両国の過度なナショナリズムにあらためて驚いている人は多いと思います。そしてそれへの反動として日本でもナショナリズムが高まり、やがては衝突するのではないかと危惧する人も少なくないはずです。

軽薄なジャーナリズムは、ナショナリズムを嗅ぎ取るととにかく危険だと叫び、ただひたすら冷静になれと繰り返します。しかし歴史を見ると、ナショナリズムはそれほど危険なものではありません。睨み合う2つの国のナショナリズムが共振して増幅し、コントロール不能に陥って暴発するという現象は、ありそうでないのです。

人々がナショナリズムを意識し、ナショナリズムに突き動かされるようになったのはナポレオン戦争以降のことで、19世紀から20世紀初頭にかけての西洋は、遮るものなしにナショナリズムの暴風が吹き荒れた時代といえます。しかしこの時代は、戦争が常態ともいえる西欧史において例外的に平和な時代でした。国家間の摩擦は国際会議で妥協が探られ、何度か起きた大きな紛争の原因も、単純なナショナリズムに帰すことはできません。

ナショナリズム時代の最終的破滅とされる第一次大戦も、起爆スイッチを押したのはナショナリズムではありませんでした。なるほどオーストリアの皇太子夫妻を射殺したのはセルビア人のナショナリストでした。しかしそのときは誰も戦争になるとは予想しませんでした。最初に超えてはならない一線を超えたのは、ロシア、フランスと組んだセルビアに報復戦争をしかけたオーストリアです。そしてオーストリア=ハンガリー帝国という国家は目眩のするような多民族国家であり、当時の欧州において例外的にナショナリズムを否定し、皇帝を中心に「友愛」による共生を目指す国家でした。ナショナリズムの時代である19世紀は、ナショナリズムの高揚ではなく、アンチ・ナショナリズムにより暴発したのです。

そんなわけで、ナショナリズムというイズムは言われるほど危険なものではありません。ナショナリズムによる対立には、それがいかに激しい対立であろうと、相手もまた愛国者であるという了解を通じて互いへのリスペクトがあるため、国民と国家をヒステリカルな行動に走らせる要因にはなりにくいのです。では国家はどんなときに正気を失うのでしょうか?

1914年の夏にアンチ・ナショナリズム国オーストリアを軽率な行動に走らせた理由は明白です。セルビア人のナショナリズムを見過ごせば、セルビア人はもちろん、国内にいるその他の諸民族、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人、ウクライナ人、スロベニア人、クロアチア人、ルーマニア人等々のナショナリズムを刺激して分離独立運動を加速させ、友愛多民族国家のオーストリアは存在意義を失い瓦解してしまうからです。

国家というのは必ず国家統合の理念を持ちます。日本のように言語や文化、歴史を共有する人々の集合体である「国民国家」はナショナリズムを基盤とし、アメリカ合衆国は自由を基盤とし、いくつかのイスラム諸国は宗教を基盤とし、かつて存在したソ連のような国は共産主義、そしてオーストリア帝国は友愛を基盤としました。そんな統合の理念が脅かされたとき、国家は激しく動揺し、ヒステリカルになりやすいのです。

ナショナリズムは統合の理念のひとつにすぎません。そしてあらゆる理念の中で最も自然で無理がないだけに、安定していて壊れにくいイズムです。外国との関係がどう変化しようと、外国に何を言われようと、ナショナリズムに立脚した国家の正当性は揺らぎません。ナショナリズムは目立つので危険視されがちですが、実のところ地に足がついた、ヒステリカルになりにくい理念なのです。

ですから本当に危険なのはナショナリズムではありません。危険なのは、人工的で自足できない国家統合の理念です。たとえばオーストリア帝国の「友愛」は、あまりに人工的で説得力を欠き、最終的には力でナショナリズムを叩き潰さない限り生存できない理念でした。ソ連の共産主義やドイツのナチズムは、常に「国際資本主義」に対する優位性を示し続けないと説得力を失うため、情報鎖国して幻想の中に閉じこもるか、軍事的に勝負に出るしかない理念でした。

では、今日本の周辺で吹き荒れる領土紛争は心配するに及ばないのでしょうか?

それがナショナリズムによって引き起こされているものなら、そうだと言えます。ナショナリズムによる摩擦など、酔っぱらいのケンカのようなもので、酔が覚めれば話し合いで解決します。しかしこの度の中韓の怒りは、見れば見るほどただのナショナリズムではありません。残念ながら、彼らの怒りは人工的で自足できない国家統合の理念に起因しているとしか考えられないのです。

中国、韓国ともに非常にナショナリズムの強い国です。しかし両国ともに、ナショナリズムだけでなりたっている普通の国民国家ではありません。

かつての中国には、ナショナリズムと並んで共産主義という理念があり、それが一党独裁強権政治の正当性を支えてきました。韓国の場合は、ナショナリズムと並んで「反共」という理念があり、それを北朝鮮に対して朝鮮半島の正当政権であることの拠り所としてきました。

しかし両国の国家統合の理念は、冷戦の終結により1990年前後に瓦解してしまいました。本来であれば、このとき中国の共産党政権は崩壊し、中国大陸の地図は塗り替わるはずでした。韓国は破綻国家の北朝鮮を吸収したのち普通の国民国家へと脱皮するはずでした。

ところがそうはなりませんでした。ロシアから旧東欧ブロックにかけて、統合の理念を失った国家が相次いで崩壊したヨーロッパに対して、アジアではものの見事にステータス・クオ(現状維持)が続いています。このグロテスクな不自然を可能にしているのが、「世界最凶の極悪国家日本によるホロコーストの被害者」という神話、「ホロコースト・ドグマ」なのです。

両国ともに、かつてはそれほど反日ではありませんでした。中国などは、政府レベルでも市民レベルでも世界有数の親日国でした。しかし1990年に前後して反日教育、反日プロパガンダに力を入れ始め、日本の悪行を告発する記念館を建設したり、新たな抗日記念日を制定したり、反日ドラマを量産したり、半世紀以上前の親日派を裁く法律を制定したりして、古い傷跡を切り開き、傷などなかった部位にまで新たな傷をつくる作業を始めました。

価値を失った共産主義や反共という理念のプロキシ(代理)として、自らをホロコーストの被害者とするイデオロギーを確立するためです。これにより、中国共産党は一党独裁を継続する大義名分を獲得し、韓国は北朝鮮の同胞を見殺しにして経済的繁栄を享受しつつ、都合よく民族愛を叫べる特殊な立場に立てるのです。

ユダヤ人作家ジェーン・デリンの次の言葉は、「ホロコーストの被害者」であることが現代においてどれほど強力なイデオロギーになるかを示しています。


私は核廃絶を支持しますが、イスラエルが核を保有していることは嬉しく思いますし、イスラエルの生き残りのためなら核の使用もやむを得ないと思います。あえて醜い言葉で極論するなら、もしイスラエルの生存とその他の人類60億のどちらをとるかと選択を迫られたら、私は400万人のイスラエル人をとります。


社会的に認められている作家にここまで言わせるのは、ただのナショナリズムではありません。ナショナリズムとは似て非なる病んだイデオロギー、カルトです。今回、反日暴動について議論する英語の掲示板で、次のような中国系と思わしき人々によるコメントをあちこちで見かけました。


3500万人のアジア人を虐殺し、数百万人を性奴隷にするというナチスを遥かに凌駕する犯罪を犯しておきながら、その罪を認めようとしない日本人の所業について知れば、その被害者である中国人や韓国人の怒りは理解できる。人類共通の価値観を共有できない日本人は、世界で力を合わせて打倒すべきだ。


典型的なホロコースト・シンドロームです。しかしこのイデオロギーの恐ろしさはこれにとどまりません。イスラエルの心理学者ベンジャミン・ベイト・ハラミ氏は「政治目的を正当化するためにホロコースト・ドグマが使用されると、すべての議論がストップしてしまう」と警鐘を鳴らしていますが、こんなことが言えるのも氏がユダヤ人だからです。

さまざまな人種の人が書き込む英語の掲示板では、通常誰かが偏狭なコメントをすると、別の誰かが必ず皮肉を込めた反論を返すのですが、今回上のようなコメント対する反論はほとんど見られませんでした。


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中韓の日本叩きをナショナリズムで語り、その観点から解決を探るのは的外れで不毛な行為です。今東アジアを揺るがしているのは、ナショナリズムなどという生ぬるいものではなく、もっと切実で醜く歪んだ怪物なのです。そして残念ながら、このような状況を平和的に解決した事例はまだありません。

イスラエルとアラブの抗争は言うに及ばず、各民族が「我こそはホロコーストの被害者。お前たちはナチスに協力した加害者である!」と主張して武器を手にした多民族国家ユーゴスラビアの分裂戦争は、互いに民族浄化の応酬で疲れ果てるまで鎮まることはなく、今なお諸民族間の憎悪は消えていません。

いくら日本のマスコミが「お互いに頭を冷やして」と訴えたところで、中韓は頭を冷やしませんし、日本人が単独で頭を冷やしたところでどうにもなりません。中韓がステータス・クオのために悪鬼日本を必要とする限り、領土を差し出しても、頭を下げても、金を出しても、その結果たとえ日本という国家が消滅してしまったとしても、日本と日本人への憎悪は消えないのです。

中韓がホロコースト・ドグマの構築に力を入れ始めた1990年にティーンエイジャーだった人たちは、今はまだ40歳以下です。彼らが社会の要職につくのはこれからで、先が思いやられます。  


Posted by goyaman at 22:59Comments(0)時事問題