2012年10月19日

僕の原風景はアメリカ

くら僕の原風景はアメリカ


ネットで僕が育った街の昔の写真を検索したら

沢山見つかって、深夜まで夢中で見続けました。


僕の原風景はアメリカと言う題名を見た人は

何てアメリカかぶれの奴かと思われるでしょう。

沖縄が日本に復帰したのは、1972年です。

それまでは、アメリカの統治下に有りました。

通貨もドルを使っていましたし、車の車線も

アメリカと一緒の右側通行でした。

勿論、本土に渡航する時はパスポートや

検閲、税関の検査が必要でした。


僕の原風景はアメリカ


僕が育った街は、那覇市の辻町と言って

戦後、今の那覇空港に在ったアメリカ軍の空軍基地所属の

米兵相手の飲み屋街でした。

僕の両親もアメリカ兵相手のキャバレーを営んでいました。


旧コザ市のような大規模な町並みでは無かったですが

それでも、ペイデーには、多くの兵士達で賑わっていました。

周りは、空き地ばかりの何も無い所でしたが

ここは、夜になると、不夜城のようにネオンがきらめいていました。


僕の原風景はアメリカ


この写真は、コザ市の写真ですが、

夜になると辻町もこんな感じでした。

僕の周りは、ホステスさんとアメリカ兵ばかりで

愛嬌の有った子供だったせいかとても可愛がられました。

やんちゃなマリン兵(海兵隊)と違って

エリートの空軍兵士達ですから、ジェントルマンが多かった気がします。


僕の原風景はアメリカ


僕のような環境で育っていなくても

沖縄の殆どの人達は、フェンス越しに見える

アメリカ人のライフスタイルに憧れる人は多かったと思います。

アメリカに比べて日本がとても貧しかった時代ですから

芝生の丘陵の中に点在している米軍ハウスには

そえぞれにブランコや滑り台、そしてプールが有ったりと

貧富の差を嫌と言うほど見せ付けられました。


アメリカ兵の家に招待された時など

タンスのように大きな冷蔵庫から

どでかいアイスクリームのパッケージを取り出して来て

好きなだけ食べろと言われた時は、天にも昇る気持ちでした。


僕の原風景はアメリカ


ベトナム戦争が終結した辺りから、辻町に寄り付く

兵隊さんは、めっきり減ってしまって

街はゴーストタウン化して行きました。

(辻町の写真が余り見つからないので旧コザ市のセンター通りの写真を代用)




僕の両親は、早めに水商売に見切りを付け

日本との貿易で、洋服の生地を輸入する仕事を始めました。

物が無い時代ですから、仕入れた生地は飛ぶように売れたそうです。

一軒のお店は国際通りの裏手の市場通り

そして、もう一軒を、松山と言う町の問屋街に店を出しました。


僕の原風景はアメリカ


市場通りのお店は沖縄の人達用に販売するので

平和商事と名前を付け、

問屋街のお店は、でブラザーストアと言う名前にしました。

その頃は、アメリカの独身兵に代わって、家族部隊が増えていましたし

その奥様方相手の洋裁店が仕入れに来たり

アメリカ人は合理的ですから、洋裁が出来るメイドを雇って

家事の傍ら、家族の洋服を縫わせる奥さん達が

生地を買いに来るので賑わっていました。

ですから、お店の名前も英語にしたのです。

僕の環境としては、中学生位まではアメリカ人との

関わり合いは続いていた事になります。

こちらのお店が軌道に乗ったので

僕達家族は、辻町を離れ、この問屋街に引っ越しました。

たまに辻町に行って見ると、嘗ての反映が蜃気楼だったように

ひっそりとしていて、とても寂しい気持ちになりました。


那覇市からは、どんどんアメリカ軍の基地が無くなり

それと比例して、アメリカ人や彼ら相手の

横文字のショップも消え失せて行きましたが

沖縄本島中北部には、まだまだ基地は有りましたし

基地の街も、存在し続けて、多くのアメリカ人も

街を行き交っていました。


僕の原風景はアメリカ


辻町に行く度に廃れるばかりの街並みを見るのは辛いので

ヒッチハイクまでして、中部の基地の街に足繁く通いました。

その街を歩いていると、懐かしい気持ちになりました。


僕の原風景はアメリカ


その頃は、アメリカ兵相手のPAWAN SHOP(質屋)が沢山有りました。

中学生だから、そこで売っている物を買ける訳有りませんから

オーデイオ、ギターなどを、ただただ眺めるばかりです。

1970年当時は、アメリカ製のアコギは有りませんでしたが

FENDERや、GIBSONのエレキが沢山並んでいました。

その光景は、今でも夢の中に出て来る位です(笑


アメリカ製のギターをいつか手に入れてやる

中学生の頃から、そう思って来ましたから

ギタークレイジーと言われる理由が理解して頂けると思います。

今は、エレキは集めていませんが

以前は、GIBSONやFENDERのギターを沢山所有していました。


そう言った環境で育ったので、ペンキを塗りたくった

横文字の看板のショップやネオンサインなどを見ると

胸がキューンとなります。


大学二年の時に、バイトをして資金を貯めて

ギターを買う貯めに、アメリカのLAに行った時は

初めてのアメリカなのに、LAの街並みを見て

懐かしい気持ちになりました。

こう言った事情から、僕の原風景はアメリカなんです。


次回は、ここ最近、ネットで夢中で集めた

沖縄の昔のアメリカンな写真をアップしたいと思います。


僕の原風景はアメリカ


例えば、こんな感じの写真です。

乞うご期待です。









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Posted by goyaman at 00:30│Comments(10)一般
この記事へのコメント
GOYAMANさん
つい 反応してしまいました、

あの頃のアメリカの豊かさをフェンス越しに眺めていましたね、
巨大な冷蔵庫 アイスクリーム 食べ物は幸せな気持ちになります。

私たちの育った沖縄のアメリカは
おおらかで懐の深いアメリカの一番
良い時代でした、

特に音楽はアメリカ本土とほぼ同時に沖縄では聞くことができVOA  FEN
と毎日が刺激にあふれていた気がします。

続編が楽しみです。





 
Posted by booger at 2012年10月19日 01:22
boogerさん、コメント有難うございます。
世代的に僕と近いので、過激に反応したでしょうね(笑

あの頃の兵隊さんは、朝鮮戦争や、ベトナム戦争で
徴兵制の時代でしたから、インテリで良いアメリカ兵も多かったのですよ。

勿論、米兵による犯罪も有りましたが、中国やロシアの統治下に置かれる事を考えると、まだ良かったのかも知れません。

今、オスプレイや、米兵二人によるレイプ事件で、沖縄は揺れていますから
敢えて、この話題に触れました。

悪いアメリカ人も居るけど、善良なアメリカ人も沢山居るのです。
勿論、被害に遭った女性には、心から同情しますし
加害者のアメリカ兵に怒りを感じます。

しかしながら、それを沖縄県民のナショナリズムに利用しようとする
左翼には、違和感を感じます。
犯罪を犯したならば、人種、国籍を問わずに同じように法律で
裁くべきだと思います。

例えば外国の有る国で、日本人が同じような事件を犯した場合
怒りの矛先を日本人全員に向ける事と同じです。
そう言った事を、すぐに政治的に利用しようとする事に
疑問を感じざるを得ません。
Posted by goyamangoyaman at 2012年10月19日 01:41
最近、またバカなアメリカ兵の鬼畜な行動が問題になっていますが僕は沖縄には憧れがあります
僕は友だちの中ではアメリカかぶれだそうです
僕の事情は割愛しますが今回、沖縄の昔の風景を見て時代の流れを感じました
沖縄でゴーヤーマンさんと再見したいです
Posted by kazz at 2012年10月19日 12:05
今でも沖縄は
アメリカの雰囲気を感じられます。
日本とアメリカの二つの文化があると
アニキが言ってたことを思い出しました。
アニキが行くときは僕もご同行します!
ボンバー!
Posted by 山川国登 at 2012年10月19日 12:59
古い沖縄の写真ですね。同じ時代に沖縄で育ってもこんなに違うのかと改めて感じました。 私は沖縄でも基地のない片田舎で育ちましたので、18歳になるまで周りはきび畑とヤギや豚が沢山いる生活、碧き海が広がっているのが私の原風景です。 夜になると街灯もなく、ネオンの代わりに満天の星空が照らしてくれました。
 同じ沖縄でも、育った環境がこれ程変わりますので、地球に住む同じ人々も、国や宗教やイデオロギーの違いがあることは当たり前なのでしょう。どんな国でもいい人もいれば悪い人もいるのでしょう。
 大切なのは、相手を尊重し、一人の人間として、同じ立場で、同様に扱うことではないでしょうか。
 このブログを通して、今後も色々な知識が学べ、楽しみが増えそうです。当時の都会ぃ子(←Goyamanさんのことです)はどんな風景を見て、憧れていたのでしょう?・・次回も楽しみです・・・TAMAKI.
Posted by TAMAKI at 2012年10月19日 18:50
kazzさん、コメント有難うございます。
何処の国でもどんな人種でも良い人も居れば
悪い人も居ます。
外国人の犯罪だからと言って、それをナショナリズムに結び付ける事には
賛成し兼ねます。
地元の人間として、こんな事は書きたくないのですが
人口対比で見ても、駐留しているアメリカ人よりは
沖縄県民の方が、遥かに犯罪率は高いのですよ。
沖縄に来られたら、アメリカかぶれのkazzさんを十分満足させる場所に
案内しますね。
Posted by goyamangoyaman at 2012年10月20日 00:52
TAMAKIさん、コメント有難うございます。
以前、TAMAKIさんの故郷のお話を聞かせて貰った時
僕も余りの環境の違いに感慨深い気持ちになりました。
TAMAKIさんの場合は、故郷の山河が原風景ですが
僕は、ブログに書いたような、アメリカ兵相手のキャバレー街の
ネオンサインで有ったり、行き交うアメリカ兵だったりします。

しかしながら、自然の景色と違って
人工物は、朽ち果ててしまいます。
賑やかだった街が寂れて行く光景を見るのは辛いものです。
国敗れて山河有りと言う格言が有りますが
TAMAKIさんの原風景も羨ましいです。

>同じ沖縄でも、育った環境がこれ程変わりますので、地球に住む同じ人々 も、国や宗教やイデオロギーの違いがあることは当たり前なのでしょう。ど  んな国でもいい人もいれば悪い人もいるのでしょう。
 大切なのは、相手を尊重し、一人の人間として、同じ立場で、同様に扱うこ とではないでしょうか


TAMAKIさんの考えに全く同意します。
戦争は一発の銃声や、国同士の小競り合いから始まるのです。
今回の米兵によるレイプ事件も、日本人と同じ法律で裁くべきですし
日米協定で、それが出来ないのなら、
その事に対して怒りをぶつけるべきです。
Posted by goyamangoyaman at 2012年10月20日 01:03
山川さん、本土から沖縄に来られると
気候的な事や、嘗て中国の影響下に有った事
そして、アメリカの統治下に有った事などで
エキゾチックなイメージを持たれると思います。
沖縄は、中国、日本、アメリカ、また日本と
めまぐるしく変化して来ましたが
それらお混ぜこぜにして今の文化が有るのです。
Posted by goyamangoyaman at 2012年10月20日 01:08
俺自身日本は好きですし日本人で良かったと思いますが
完全にアメリカ被れです(苦笑)
整備士の時にアメリカに渡る話を持ちかけられて
かなり悩みました、結婚した次の年だったので諦めました
これも俺の夢のかけらの一つです。
Posted by 中道 ひでき at 2012年10月20日 12:36
中道さん、コメントへの返事が遅れてすみません。
僕は沖縄が復帰した年に東京の大学に進学しました。
ですから、成り立て日本人状態でした。
沢山の友人に恵まれ、再び日本に戻れて良かったと思いましたね
僕は、日本が大好きですし、日本人で有る事に誇りを感じます。

整備士の話でアメリカ行きを持ちかけられた話
勿体無いの一言です。
でも、結婚したばかりだとしょうがないですよね。
僕の娘がアメリカに留学していた頃
サンフランシスコに会いに行った事が有りますが
ああ、時代が違っていたら、僕だってここで暮らしていたのかもと
悔し涙が溢れて来ました。

僕の時代は、日本に復帰したので
東京に行って何かを学んで帰って来る事を第一目標にしていましたので
アメリカに行こうとは考えられなかったのです。
Posted by goyamangoyaman at 2012年10月22日 09:15
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